値札を見て一度ためらう私へ、オシャレな服を無理しない価格で選ぶという選択

今朝の空気は、ひんやりしているくせに、どこかだけ乾いていて。駅のホームでコートの前を合わせたとき、ボタンの冷たさが指先に残った。2026年1月21日。ニュースアプリは相変わらず忙しくて、画面をスクロールする親指だけが、私の中で一番働いている気がした。
でも、今日いちばん引っかかったのは、大きな国の強い言葉でも、災害の話でもなくて。「欲しい服があるのに、値札を見た瞬間に、心がすっと引いてしまう」あの感覚だった。
昨日の夜、寝る前に見ていたニット。たぶん似合う。たぶん。なのに、たぶん高い。たぶん、今月は無理。たぶんばかり増えていくと、私はいつも、なぜか自分のほうが小さくなっていく。
通勤電車の中で、広告みたいに流れてくる「セール」「ポイント還元」「クーポン」。
うれしいはずの言葉たちが、今日はやけに眩しくて、ちょっとだけ目を細めた。安くなるって、救いの顔をしてるのに、ときどき「ほら、あなたはこれで満足しなよ」と言われているみたいに聞こえる瞬間がある。……たぶん、私のひねくれが強いだけなんだけど。
帰りに、予定になかった寄り道をした。駅前のリユースショップ。
ガラス扉の向こうは、暖房が効きすぎていて、外の冷えた空気とぶつかった瞬間、メガネが一瞬だけ曇った。棚には冬物のコートがぎゅうぎゅうで、肩がぶつかるたびに「すみません」と心の中で小さく言う。こういう場所では、声を出すのが少しだけ怖い。店員さんに話しかけられたら、何も買わずに出る自分がバレる気がするから。
私はラックから、細いリブのスカートを抜いた。色は、黒に見えるけど、よく見るとすこしだけネイビー。そういう“わかる人だけわかる”感じが、今日の私にはちょうどよかった。タグを見る。新品の半分くらい。たぶん、買える。たぶん。
試着室のカーテンを閉めたとき、外の世界が急に遠くなった。鏡の前でスカートを合わせる。ウエストは、ぎりぎり。いや、ぎりぎりという言葉の中には「今日だけは大丈夫」という希望と、「明日は無理かも」という不安が同居している。私はそれを、笑ってやり過ごすことが多い。だけど今日は、笑う前に一瞬だけ、胸が詰まった。
“安く買える”って、こういうときに発動する魔法みたいなものだ。ちょっときつい現実も、「でも安いし」で丸められる。買い物上手の顔ができる。
だけど、その顔をした瞬間、私はたまに、自分の体とか気分とかを、後ろに押しやってしまう。自分より、値札を優先してしまう。
試着室の鏡に映る私は、悪くない。けど、なんか違う。肩が上がっている。たぶん、“買う理由”を探して緊張してる。こういう小さな緊張が積もると、家に帰ってからどっと疲れる。服のせいじゃない。私の、頑張り方の癖のせい。
結局、そのスカートは戻した。戻すときに、ハンガーがうまく引っかからなくて、布がちょっとだけ床に触れた。誰も見てないのに、顔が熱くなった。たったそれだけで、私は「私は今日もうまくできてない」って思ってしまう。
うまくできてないことなんて、山ほどあるのに。靴ひもがほどけたとか、定期入れを探して鞄の中を全部ひっくり返したとか、そういう“しょうもないミス”が、今日はなぜか全部、心に刺さる。
お店を出て、冷たい空気に当たった瞬間、少しだけ呼吸がしやすくなった。買わなかったのに、どこか安心している自分がいて、それがまた、ちょっとだけ寂しかった。
そんなふうに斜めになりかけた気持ちを、少しだけ戻したのは、昼休みに何気なく読んだ“古着”のニュースだった。楽天のフリマアプリ「楽天ラクマ」が、東京ビッグサイトで開かれた古着の祭典「古着フェス」に協賛した、というお知らせ。しかも“10回目”。
もう、そんなに続いているんだ、と驚いた。1月11日に開催、と書いてあって、つい最近の出来事なのに、私はぜんぜん知らなかった。私の生活って、必要な情報は取りこぼして、どうでもいい情報ばかり掬ってしまう。そんな気がした。
古着って、前よりずっと身近になった。私も、アプリで何度か買ったことがある。新品のタグがついたままのワンピースとか、誰かが一回だけ着て、たぶん“違った”んだろうなっていうジャケットとか。そういうものに出会うと、勝手にその人の気持ちを想像してしまう。「思ってた私じゃなかった」って、服も言われる側になるんだ。ちょっと切ない。けど、ちょっと助かる。
助かる、という言葉は、あんまりおしゃれじゃない。服の話をしているのに、現実の匂いがする。でも、私が「オシャレな服がちょっと安く買える!」って思うとき、そこにはいつだって“生活”がくっついている。冷蔵庫の中の豆腐の賞味期限とか、洗剤の詰め替えとか、冬の光熱費とか。そういうのが先に並んで、最後に服が来る。
服は、いつも後回しの“ご褒美候補”で、でもご褒美にしては頻度が高すぎて、私の生活はだいたいご褒美待ちのまま進む。
今日のモヤッとした瞬間は、まさにそこだった。昼休み、コンビニでおにぎりを買って、レジ横の小さい棚に並ぶチョコを見て、「この150円は即決できるのに、服になると急に迷うのはなんでだろう」と思った。150円のチョコは“消える”からいいのか。服は“残る”から怖いのか。残るものって、あとから「選んだのは自分だよね」って、責任みたいに重くなる。
帰り道、私は“古着フェス”の記事をもう一度読み返した。東京ビッグサイトに300ブース以上、と書いてあって、つい笑ってしまった。
300って、ほぼ迷路じゃない? そこで私は、宝探しみたいに服を掘る人たちの光景を想像した。熱気。埃っぽい空気。ラックに触れる指。鏡の前で首をかしげる顔。値札を見て、目が少しだけ丸くなる瞬間。ああ、そういうのって、たぶん楽しい。安いから楽しい、だけじゃなくて、「選ぶ自由」がそこにあるから楽しい。
たぶん私は、最近“選ぶ自由”が少しだけ苦手になっていた。新作が出るたびに「これが今の正解です」と言われているみたいで、そこに乗れない自分が遅れているみたいで、でも乗ったら乗ったで、家に帰って鏡の前で「誰のため?」って思ってしまう。誰のため、って聞いた時点で、もう負けてるのかもしれない。おしゃれって、もっと無邪気でいいはずなのに。
そこで、古着という選択肢が、今日の私には妙にちょうどよかった。新品の“圧”がない。流行の“宿題”がない。すでに一度、誰かの生活を通ってきた服は、いい意味で肩の力が抜けている。たまに、少しだけ香りが残っていて、洗濯すれば消えるのに、私はその痕跡に「人の気配」を感じてしまって、変に優しくなったりもする。
でも、同時に、モヤッともする。安く買える、と言いながら、私は何を“安く”しているんだろう。お金? それとも、迷い? あるいは「本当は欲しいけど高いから諦める」っていう、自分の小さな痛み? それを古着でなだめてしまうと、私はまた“自分の本音”を後回しにしてしまうんじゃないか。そんな心配が、胸の奥に、細い針みたいに残った。
オシャレな服がちょっと安く買える!の裏側で、私が拾い損ねた気持ち

今日、私は結局、アプリでカートに入れたままのスカートを買わなかった。買わなかった理由は、値段じゃないふりをしたかったけど、たぶん値段もある。あと、サイズが不安だった。あと、届くまでの時間が“期待”になってしまうのが怖かった。期待って、便利だけど、裏切られるときに疲れる。
代わりに私は、クローゼットの奥の、去年ほとんど着なかった服を引っ張り出した。着てみたら、悪くない。悪くない、っていう言い方も、なんか失礼だけど。鏡の前で、少しだけ肩が上がった。自分の中の「まあ、いっか」が、今日だけはちゃんと“肯定”に近いところに着地した気がした。
「安く買う」じゃなくて、「うまく出会う」にしたい
“古着フェス”みたいな場所って、たぶん、買い物というより出会いなんだと思う。値段を見て勝ち負けを決めるんじゃなくて、服と目が合う、みたいな感覚。私が欲しいのは、その“目が合う”瞬間なのかもしれない。新品だと、どうしても「買うべき?」が先に立ってしまうから。
ただ、出会いを求めるときの私は、少しだけ危うい。恋愛でもそうだけど、出会いって、うまくいかなかった日の穴を埋めるために使ってしまうと、だいたい変な方向に転ぶ。今日の私が「オシャレな服がちょっと安く買える!」に惹かれたのも、もしかしたら、朝の乾いた空気と、ニュースの強い言葉に、無意識で疲れていたからかもしれない。現実が強いとき、私は“柔らかい何か”が欲しくなる。服は、柔らかい。だから、逃げ道にもなる。
じゃあ、逃げ道が悪いのかと言われると、そうでもない。逃げ道があるから、明日も歩ける日がある。だけど、逃げ道ばかり増えると、いつのまにか自分の居場所がわからなくなる。私のクローゼットが、たまに“知らない私”でいっぱいになるのは、たぶんそのせいだ。
今日の問いは、まだ小さい。オシャレを安く手に入れたい私は、何から守られたいんだろう。お金の不安? 比較される怖さ? それとも、誰にも見せていない「私ってこれでいいの?」という心細さ? その答えは、まだ出ない。出したくない、というのが本音かもしれない。
夜、部屋の電気を少しだけ暗くして、ベッドの上でスマホを閉じた。明日もきっと、セールの通知は来る。クーポンも来る。おすすめも来る。でも、今日みたいに、ふと“古着”というニュースが、私の揺れを少しだけ救ってくれる日もある。そう思うと、悪くない。
……そして私は、買わなかったスカートのページを、そっとブックマークしたまま眠る。




