肌が乾くたびに少し不安になる私が、飲むケアに目を向けた理由とディフェンセラの存在

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肌の乾燥が気になる方に。新発想「スキンケアするトクホ」 ディフェンセラ

スキンケアを頑張る女性

今朝、玄関のドアを開けた瞬間の空気が、やけに軽くて、冷たくて、ちょっとだけ意地悪だった。駅までの道で息を吐くと白くなるほどでもないのに、頬の表面だけが「もうやめて」って言ってるみたいに突っ張って、マスクの内側で自分の呼吸が乾いた風になって戻ってくる。冬って、こっちが何もしてなくても勝手に奪っていく。

それで今日の小さな出来事は、たぶん、すごく地味。
会社(という名のオンライン会議)で、午前の打ち合わせが立て続けに続いたあと、ふと鏡を見たら、口角の横が粉をふいたみたいに白くなっていた。笑った覚えもないのに、笑いジワのところが一番乾くの、なんでなんだろう。私はその白さをごまかすみたいに、指で軽くこすってしまって、余計に目立たせた。

そのとき心の中で浮かんだ、誰にも言わなかった本音がある。
「もう、こういう“ケア”って、全部、追いかけっこじゃない?」
肌も、気持ちも、仕事も、人間関係も、ずっと“追いつかれる前に整える”みたいな顔をして走ってて、息切れしてるのに止まれない。…私、いま、何と戦ってるんだろうって。

「守る」って言葉に、私が弱い理由

私は昔から、「守る」とか「防ぐ」とか、そういう言葉に弱い。
たぶん、根がビビりなんだと思う。予定が詰まってる週は、前日にスマホの充電をやたら気にするし、非常食の賞味期限もチェックするし、靴下の替えまで持っていく。自分でも笑う。そんなに不安なら家から出なければいいのに、出る。

肌の乾燥って、その“ビビりスイッチ”を押してくる。
すぐに困らないのに、気づいた瞬間から気になる。見た目の問題だけじゃなくて、なんだか「自分を雑に扱ってる」感じがして、そこが一番つらい。忙しい日ほど、顔を洗って、適当にクリームを塗って、はい終わり、みたいに済ませてしまう。すると翌朝、肌が「昨日のあなた、私のこと置いていったよね?」って言ってくる。

…この感じ、わかる人、きっといる。
“別に大問題じゃないのに、じわじわ心が削れる不快感”って、ちゃんと不快なんだよね。

そんなときに思い出したのが、ディフェンセラだった。
「スキンケアするトクホ」っていう、ちょっと不思議な言い方のやつ。飲むタイプの“肌への機能”が認められた特定保健用食品(トクホ)で、「肌の水分を逃しにくくするため、肌の乾燥が気になる方に適している」っていう表示が許可されているらしい。

口角の白さから、話が人生の防御に飛ぶ(飛びすぎ)

スキンケアを頑張る女性

昼休みに、私はコンビニであったかいスープを買って、ついでにレジ横の小袋ののど飴を見て、なぜか“ディフェンセラ”のことを思い出した。
たぶん、「乾燥」って単語が頭の中で共鳴して、別の引き出しを勝手に開けたんだと思う。そういうこと、ある。どうでもいいきっかけで、別の悩みが出てくるやつ。

調べてみると、ディフェンセラは米胚芽由来のグルコシルセラミドを関与成分としていて、1日1包が目安。水なしでも口に入れられる粉タイプで、フレーバーもいくつかある。
しかも、オルビスのディフェンセラの場合、関与成分(米胚芽由来グルコシルセラミド)は1包あたり1.8mgと書かれていた。
トクホとしての情報を見ると、「1日1包を目安に、そのまま口に入れるか水とともに」といった摂取目安も明記されている。

ここで私の中の、ちょっとひねくれた声が出る。
「飲むだけで、守れるなら楽だよね」
でも、すぐにもうひとつの声が重なる。
「“楽したい”じゃなくて、“漏れていくものを止めたい”だけなんじゃない?」

肌の水分って、放っておくと蒸散していくものらしい。ディフェンセラはその“逃げていく水分”に対して、逃がしにくくする、という方向の発想だ。
それを読んだ瞬間、私は急に、自分の生活のことを考えてしまった。

仕事の連絡、気遣い、将来のこと、友達との距離感、家賃、親の年齢、体調、肌の乾燥。
毎日、何かしらが“私の中から水分を持っていく”。
しかも厄介なのは、奪われてる最中は気づきにくいってこと。気づいたときには、口角が白い。心も、白い。

ディフェンセラの話をしてるのに、私は結局、“私の中のうるおい”の話をしてる。
こういうところ、ほんと自分でめんどくさいと思う。

「効く・効かない」より先に、私が引っかかった違和感

夕方、エアコンの暖房で部屋があたたかくなってきた頃、私は加湿器のタンクを見た。水が空っぽだった。
ここで今日の“ささやかな変化”が起きる。私は、すぐ水を足さなかった。珍しく。

いつもの私なら、「乾燥は敵!」みたいに慌てて満タンにして、さらに濡れタオルまで干して、完璧に対策しようとする。
でも今日は、タンクを手に持ったまま、ぼーっとして、ちょっとだけ立ち止まった。

そのときの違和感は、こう。
「私、乾燥が嫌なんじゃなくて、“乾燥に負けてる自分”が嫌なのかも」

たとえば肌が乾くと、「ケアできてない」「余裕がない」「だらしない」って、勝手に自分にレッテルを貼ってしまう。
でも、現実はただ冬で、空気が乾いてて、生活が忙しくて、そういう条件が重なっただけ。そこに“人格”は関係ないはずなのに。

ディフェンセラも、注意書きとして「医薬品ではない」「多量摂取で治るものではない」みたいなニュアンスがきちんと書かれている。
これって当たり前の注意なんだけど、私にはちょっと救いだった。
つまり、「劇的に何かを変える」ものじゃなくて、「漏れていくものを、少し止める」くらいの立ち位置なんだろうなって。

そう思ったら、急に、選択肢が“やる/やらない”の二択じゃなくなった。
完璧な保湿か、放置か、じゃなくて、
「今日はこれだけ」「今日はここまで」でもいい。
それって、サボりじゃなくて、配分。

私が今日、加湿器にすぐ水を足さなかったのも、たぶんそれ。
“乾燥対策をする自分”を演じる前に、「いまの私、何がしんどい?」って聞いてみたかった。
答えは、乾燥というより、午前の会議でずっと相槌を打っていた疲れとか、返信しなきゃいけないLINEの文面を考える億劫さとか、そういう地味な消耗だった。

ディフェンセラを飲む・飲まないの話じゃなくて、
私が今日得たのは、「守る」って行為を、もっと小さくしてもいい、って気づきだった。

——そして、ここが今日いちばん共感してほしいところ。
“ちゃんとやれてない日って、肌より先に心がカサつくんだよね。”

私の肌の乾燥は、もしかしたら“結果”で、
本当の原因は、ずっと張りつめたままの生活のほうかもしれない。

だから、ディフェンセラみたいな「内側からのケア」という発想は、私の中ではちょっと新しい。
顔に何かを塗るより先に、“私の生活の穴”をどう塞ぐか、みたいな視点が生まれるから。
それに、顔だけじゃなく全身の乾燥に…みたいな説明を読むと、置き去りにしてきた部分(背中とか、すねとか、ひじとか)まで思い出して、なんか申し訳なくなる。

今日の私は、加湿器に水を足して、ついでにコップ一杯の水も飲んで、ベッドに入る前にスマホを少し遠くに置いた。
全部、すごく小さい。
でも、こういう小さい“塞ぎ方”のほうが、たぶん続く。

ねえ、あなたは最近、何が乾いてると思う?
肌? それとも、肌の奥のほうにある、別の何か?

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