薬用プリエネージュ白セラムを夜だけ使ったら肌より気持ちが落ち着いた話

夜、洗面所の照明だけつけて、部屋の他の灯りは消したまま。
暖房の乾いた風が、カーテンの裾を少しだけ揺らしていて、私はそれを見ながら「今日、うまくいかなかったこと」を反芻していました。
仕事の返事が遅れて気まずかったこと。
電車で席を譲られて、なぜか素直に「ありがとうございます」が言えなかったこと。
家に帰って、玄関でブーツを脱ぐときに、足首のむくみでファスナーが引っかかったこと。
ぜんぶ小さい。小さいのに、こういう小ささって、夜になると急に大きくなる。
そんな日に私は、薬用プリエネージュの「プラセリッチ セブンホワイトセラム」を、いつもより丁寧に手に取ってみました。
レビューを読むと「しみ対策」「くすみが気にならなくなった」みたいな言葉が並んでいて、正直、今日の私には眩しすぎた。明るくなるとか、薄くなるとか、そういう一直線の言葉が、いまの私はちょっと苦手だった。
でも、買ってしまっている。
(それが私のリアル。肌より先に、気持ちが買ってしまう。)
ボトルは小さめで、内容量は20ml。商品説明には「約2か月分」と書いてありました。
2か月って、妙に現実的な期間。頑張れば続けられそうで、でも「きっと途中で気分が変わる」ことも知ってるくらいの長さ。
手のひらに出した瞬間、とろっとしてるのに水っぽくもあって、肌の上をすべる。
香りは強くない(というか、ほとんど気にならない)。
そのかわり、のばしていく途中で「ん?」って一瞬だけ思う。
すーっと入る感覚の裏側に、ほんの少し、ピリッとするような気配。
成分表を見ると、医薬部外品の有効成分として「プラセンタエキス(1)」「グリチルリチン酸ジカリウム」と記載がありました。
さらに“ピーリング成分”として「グリコール酸配合」とも。
なるほど、私が感じた「ピリッ」の正体はたぶんここ。たぶん、だけど。
こういうとき、私はいつも迷います。
「刺激=効いてる」って思いたい自分と、
「刺激=合ってない」って警戒する自分が、同じ場所に同居する。
しかも今日は、ただでさえ気持ちが弱ってる。
気持ちが弱ってる日って、肌も弱ってる気がする。
(科学的根拠は薄いのに、体感のほうが勝つ。)
それでも私は塗る。
なぜなら、塗るという行為が、私の中の“生活”を取り戻してくれるから。
うまくいかなかった日の夜って、何もしないと、どこまでも落ちていける。
スマホを見て、他人の肌の発光に勝手に敗北して、
「私って結局こうだよね」で締めたくなる。
でも美容液は、そこに小さな手すりを作ってくれる。
“効くかどうか”とは別の場所で。
自分を雑に扱わないための手すり。
今日の私は「白くなる」より「戻りたい」だけだった

商品説明には「メラニンの生成を抑え、シミ・ソバカスを防ぐ」といった効能が書かれていました。
こういう文言って、正しいし、わかりやすい。
でも今日の私が欲しかったのは、白さというより、“元に戻る感じ”だったのかもしれない。
ほら、うまくいかなかった日は、顔つきが変わる。
鏡の中の自分が、いつもより少しだけ不機嫌に見える。
肌のトーンというより、目の奥の曇りというか。
だから、セラムを塗りながら私は、肌に対してというより、気持ちに言っていました。
「大丈夫、今日はこういう日」って。
「ちゃんと帰ってきた」って。
「まだ、やり直せる」って。
…いや、“やり直す”って言い方も、なんか違う。
やり直すというより、ただ、静かに戻したい。
乱れた布団の角を、指先でちょっと整えるみたいに。
塗った直後、肌がベタベタしないのも、私はわりと好きでした。
“保湿=重い”みたいな感覚が残ると、逆に落ち着かない夜があるから。
公式の説明にも「スーッとなじむ」とありました。
私の体感も、たしかにそれに近い。
でもね、ここが私のめんどくさいところで。
馴染みが良いと「足りてる?」って不安になる。
しっとりが強いと「毛穴詰まりそう」って不安になる。
ちょうどいいって、いつも“自分の機嫌”で変わる。
だから私は決めない。
今日の使用感が好きでも、明日も好きとは限らない。
今日ピリッとしたからって、もうダメとも言えない。
(私はこういう曖昧さを、昔より許せるようになった気がする。)
「効くかどうか」を急ぐほど、私の夜は置き去りになる」

美容液って、本当は結果が欲しいものだと思う。
シミがどうとか、透明感がどうとか、肌がどうとか。
なのに私は、結果の話をしようとすると、急に言葉が固くなる。
たぶん、結果を語るって、何かを断言することに近いから。
「私はこれで変わった」って。
「これはおすすめ」って。
「これが正解」って。
でも、夜の私って、そんなに強くない。
断言できるほど、自分のことを信用できてない日もある。
だからこのセラムの感想も、きれいにまとめたくない。
“使ってみた”っていうより、
“今日の私が、これに触れてみた”が近い。
塗った肌を触ると、表面が少しなめらかに感じる。
だけどそれが美容液のおかげなのか、
「丁寧に塗った」ことのおかげなのか、
「今日は早く寝よう」って思えたおかげなのか、
正直、わからない。
でも、わからないままでもいい気がする。
美容って、たぶん、わからないものの集合体でできてる。
その日の湿度、睡眠、食べた塩分、部屋の暖房、心配事、月の満ち欠け(気のせいでも)。
いろんなものが、肌の上に静かに積もっていく。
商品ページには、ご使用方法として「適量を皮膚に塗布」とありました。
適量って、いつも難しい。
私は今日、うまくいかなかった分だけ、少し多めに出した。
それは肌のためというより、心のため。
「明日も塗ろう」と思える夜って、少し救いになる。
何かが劇的に変わらなくても、
“続けられるかもしれない自分”が残るから。
だけど、同時に思う。
美白って言葉に、私はときどき置いていかれる。
明るさとか、透明感とか。
その価値観に、ついていけない夜がある。
私が欲しいのは、
“誰かに見せる肌”というより、
“自分が自分を嫌いにならない肌”なんだと思う。
そのために、このセラムが役に立つのかは、まだわからない。
でも今日の私は、洗面所の小さな光の下で、
とりあえず一回、自分を雑にしなかった。
それだけは、たしか。
最後にひとつだけ。
美容液って、肌を変えるものでもあるけど、
それ以上に、夜の自分との距離を変えるものなのかもしれない。
……明日の私は、今日の私をどう思うんだろう。



