返信しなくても平気になった夜。恋愛より「自分の時間」が大事だと気づいた静かな変化

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恋愛は減ったけど、「どうでもいい人に時間を使わなくなった」それはたぶん、静かなレベルアップだった

美しい女性

金曜日の夜、電車を降りたあとの駅前は、なんとなくみんな少しだけ浮かれていて、でもその浮かれ方の中には、仕事終わりの解放感と、週末をちゃんと楽しめる人への小さな羨ましさと、誰にも見せない疲れがぜんぶ混ざっている気がして、私はそういう空気の中をひとりで歩くのが、昔より少しだけ上手になったなと思った。

コンビニに寄って、飲み物と小さいお菓子を買って、帰り道にスマホを見たら、連絡先だけは残っている人から「久しぶり、元気?」みたいなメッセージが届いていた。
たったそれだけの文なのに、少し前の私なら、そこに何か意味を探していたと思う。もしかして会いたいのかな、とか、ここで感じよく返しておいた方がいいかな、とか、別に好きでもないし大事でもない相手なのに、なぜか“ちゃんとした返事”をしようとして、自分の夜を少しだけ差し出していたはずだった。

でも昨日は、その通知を見た瞬間に、あ、今日は返さなくていいや、と思った。冷たいからじゃなくて、疲れているからだけでもなくて、このやりとりの先に、自分が大事にしたいものがたぶん何もないと、前よりずっと早くわかったからだと思う。

その小さな出来事が、なんだかずっと心に残っている。

恋愛が減った、という言い方をすると、どこか寂しそうに聞こえる。実際、20代の頃はそう思っていた。連絡が来ること、誘われること、誰かに気にかけられること、その数がそのまま自分の価値みたいに見えていた時期があった。予定があることはいいことだし、誰かとつながっている感覚は、それだけで少し安心できた。

でも、年齢を重ねると、人はただ人付き合いが減るのではなくて、意味のある関係を選ぶ方向に気持ちが動きやすい、という考え方があるらしい。

スタンフォードの長寿研究センターなどでも紹介されている「社会情動的選択性理論」では、人は時間の感じ方が変わるにつれて、新しさや数よりも、感情的に意味のある関係を優先しやすくなるとされている。つまり、大人になるほど「誰とでもつながる」より、「本当に気持ちが動く相手に時間を使いたい」と感じやすくなる、ということらしい。

これを読んだとき、すごく立派な話に聞こえる半面、私はもっと俗っぽい実感でそれを知っていた気がする。要するに、もう無駄に消耗したくない、というだけなのだ。


楽しくもない会話のラリーに気をつかって、会うほどでもない人との予定を無理に入れて、帰宅後に「なんだったんだろう、今日のあの時間」と思う、あの感じ。あれを何回か繰り返すと、人はちゃんと学習する。とくに平日フルで働いて、そのうえ家のことも自分で回している一人暮らしの生活では、“空いている時間”は“余っている時間”ではない。かなり貴重で、かなり高い。

どうでもいい相手に使っていたのは、時間だけじゃなかった

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昔の私は、「この人、別に合わないな」と思っても、それを認めるのが苦手だった。
というより、合わないと感じた自分のほうが性格が悪い気がしていた。だから一応笑うし、一応返すし、一応合わせる。そういう“一応”を丁寧に積み重ねていたら、ある日ちゃんと疲れた。

ここで厄介なのは、どうでもいい相手に使ってしまうのは時間だけじゃないことだと思う。気力も、注意力も、感情の処理能力も、地味に削られていく。

CDCも、社会的なつながりは健康やストレス対処に役立つ一方で、孤独や支えの乏しさは心身の健康に悪影響を及ぼしうると示している。大事なのは単純に“人が多いこと”ではなく、ちゃんと支えになる関係かどうか、という点だ。

私はずっと、「人と会う元気がない自分」を少し恥ずかしく思っていた。
誘いに乗れないと、感じが悪いかなとか、機会を逃しているかなとか、出会いを雑にしているかなとか、そういう心配ばかりしていた。だけど最近は、人に会うかどうかより、会ったあとに自分の気持ちがどうなっているかのほうが、ずっと大事だと思うようになった。

帰り道に少し軽くなっているなら、その時間はたぶん意味があった。
逆に、会ったあとに変な自己嫌悪だけが残るなら、それは“社交”じゃなくて“消耗”だったのだと思う。

わかる……と思う人、けっこういるんじゃないだろうか。
若い頃は「誘われること」に価値を感じていたのに、今は「帰宅後に自分の機嫌が悪くならない人」と過ごす時間のほうが、ずっとありがたい。

今日の小さな出来事は、未読のままにしたメッセージだった

今日実際にあった小さな出来事は、本当にそれだけだった。
駅前のコンビニを出たところで届いた、久しぶりの「元気?」という一通を、返さずに閉じたこと。

たぶん他人から見たら、何でもない。
ドラマもないし、恋も始まらないし、成長物語としてはかなり地味だと思う。

でも私の中では、あれはかなり大きかった。
なぜなら昔の私は、返さないことに罪悪感があったからだ。相手に期待を持たせたくない、じゃなくて、自分が“感じの悪い人”になりたくなかった。ここが本音だ。優しいから返していたわけじゃなくて、嫌われたくないから返していた。たぶんこの言い方はあまりきれいじゃないけれど、でも本当にそうだった。

誰にも言わなかった本音をもう少し正直に書くと、私は昔、どうでもいい人からの連絡を、少しだけ自分の安心材料にしていた気がする。


ちゃんと需要がある気がしたし、まだ女として終わってない感じがしたし、選ばれる側にいられるような錯覚も持てた。別に会いたいわけでも、深く知りたいわけでもないのに、通知が来るだけで、何かが足される気がしていた。

でも最近は、その“足された感じ”の正体が、実はかなり薄いものだったとわかってきた。
満たされるというより、一瞬だけ気が紛れていただけだったのだと思う。

「誰かに必要とされる」より、「自分の時間を雑にしない」が先になった

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今までブログであまり主軸にしてこなかった感情をひとつ選ぶなら、今日はたぶんこれだ。
私は最近、「好かれたい」より「雑に扱われたくない」が先に来るようになった。

これは恋愛観の変化というより、時間感覚の変化なのかもしれない。
歳を重ねて急に賢くなったわけじゃないし、相変わらず寂しい日はあるし、金曜日の夜に人の予定がまぶしく見えることだって普通にある。けれど、それでも、自分の夜を“埋めるためだけのやりとり”に差し出すことは減った。

それは少しだけ、生き方が整ってきた感じに近い。
きらきらした整い方じゃなくて、引き出しの奥にぐしゃっと入っていたコード類を、地味にまとめ直したみたいな整い方だけど。

友情や対人関係の研究でも、幸福感に関係しやすいのは単純な人数より、関係の質だとする知見が多い。成人の友情に関する2023年の系統的レビューでも、友人関係は全般にウェルビーイングと前向きな関連がある一方で、重要なのは量だけでなく質の面だと整理されている。

つまり、ただ人とつながっていればいいわけではなくて、自分をすり減らさない関係かどうかがかなり大きい。


これって当たり前のようで、ちゃんと自分の生活に落とし込むのは案外むずかしい。寂しさは、判断を鈍らせるから。

しかも一人暮らしの夜って、余白がある。
その余白に不安が入ってくると、どうでもいいやりとりでも、何か意味があるように見えてしまう。
「このままずっと一人だったらどうしよう」みたいな考えが、ろくでもない連絡を、救命ボートみたいに見せることがある。今思うと、あれはボートじゃなくて、たぶんただの浮き輪だった。しかも空気がちょっと抜けてるやつ。

ささやかな変化は、「返さない」を選べたことより、そのあと心が静かだったこと

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今日の気づきは、未読スルーできたこと自体ではなかった。
本当に変わったと思ったのは、そのあとに心がざわつかなかったことだった。

昔なら、返さなかった自分を何度も確認していたと思う。
悪かったかな、感じ悪いかな、せっかく来たのに、チャンスを逃したかな、と、頭の中で小さく反省会を始めていたはずだ。

でも今日は、家に帰って、お惣菜を温めて、部屋着に着替えて、湯気の立つスープを飲んでいるうちに、その通知のことをほとんど忘れていた。


その事実に、自分で少し驚いた。

ああ、私はもう、“誰かから選ばれる可能性”をキープするために、全部の扉を半開きにしておきたいわけじゃないんだなと思った。
必要な扉だけ開いていれば、たぶんそれで十分なのだ。

これは強くなったというより、管理できるものがわかってきた感じに近い。
人の気持ちは管理できないし、恋愛がいつどう始まるかなんてわからない。
でも、自分の時間をどこに置くかは、少しずつ選べる。

その選び方が、前より雑じゃなくなった。
それだけでも、かなり生活は変わるのかもしれない。

恋愛が減ったことを、昔はマイナスに数えていた。
でも今は、減ったぶんだけ、自分の大事なものが見やすくなった気がしている。


会いたい人、話したい人、ちゃんと休みたい夜、何も起こらないけど安心できる部屋。そういうものの輪郭が、前よりずっとはっきりしてきた。

だからたぶん、「どうでもいい人に時間を使わなくなった」というのは、恋愛市場から降りた話ではなくて、自分の生活にちゃんと参加し始めた、ということなんだと思う。

うまく言えないけれど、人生のレベルアップって、何かをたくさん手に入れることじゃなくて、いらないものに前ほど反応しなくなることなのかもしれない。


通知ひとつで揺れていた夜が減って、代わりに、自分の部屋の静けさをちゃんと味方だと思える夜が増えた。
それは派手じゃないし、誰にも褒められないけれど、私はこういう変化のほうが、案外あとから効いてくる気がしている。

今の自分にとって大事じゃない相手に、感じよくするためだけの時間を渡さないこと。
それは冷たさじゃなくて、生活を守るためのやさしさなのかもしれない。

そんなふうに思える夜が来たのなら、昔より恋愛が減ったとしても、悪いことばかりじゃない。
むしろそのぶん、自分の時間の輪郭がくっきりしてきたのなら、それは静かだけど、かなりちゃんとした前進なのではないだろうか。


あなたは最近、もう渡さなくていい時間を、誰に渡さなくなりましたか。

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