余白が怖い夜に読んでほしい、何も進んでいない気がする日の静かな救い

駅前のドラッグストアの自動ドアが、ふわっと開いた。夜九時すぎ、空気は冷えているのに、店内だけが妙に明るい。仕事帰りの人たちの足音が、床の白いタイルに小さく跳ねて、蛍光灯の光の下で消えていく。私はその流れに混ざりながら、カゴを持つ手にだけ力が入っていた。
今日の私は、うまくいかなかった。正確には、うまくいっていた「はず」なのに、胸の奥がずっとザラついている。昼に送ったメッセージは既読のまま、返事は来ない。仕事の会議では、発言したあとに上司が「いいね」と言ったのに、なぜか心の中で小さな警報が鳴った。「本当に?」と、誰にも聞かれていないのに自分で自分に詰め寄るみたいに。
私はハンドクリーム売り場の前で立ち止まって、キャップの色だけで選ぶふりをした。香りの説明文を読むのが、今日は面倒だった。ラベンダー、シトラス、無香料。どれも「安心」を名乗っている感じがする。安心って、棚に並んで買えるものだったっけ。
オーストラリア発オーガニックコスメブランド【ジュリーク(Jurlique)】ふと、鏡みたいに光る商品棚の端に、自分の顔が映った。マスクの上、目元だけの私。疲れているのが分かるほどじゃない。でも、元気でもない。ちょうどその中間にいるようで、そこが一番落ち着かない。私は、元気じゃない自分に理由をつけたくなる。「生理前だから」「寒いから」「忙しいから」。理由があると、責任が軽くなる気がするから。
でも、今日のモヤっとは、そういう説明で回収できるほど単純じゃなかった。いちばん引っかかっているのは、夕方のほんの一秒。オフィスの入り口で、同僚が「最近、余裕ありそうだよね」と笑いながら言った、その言葉。
余裕。余裕って、褒め言葉みたいに使われる。忙しそうに見える人より、余裕がある人のほうが素敵。そう教わってきた気がする。だから私は、「そうかな?」って笑って返した。
なのに、そのあとずっと胸の奥が重い。「余裕がある」って、どこか「本気出してない」に近い響きがある。私はちゃんと頑張ってるのに、力んでいないように見えると、頑張りまで薄く見える気がしてしまった。
帰り道、電車の窓に映る自分の姿を見ながら、私は小さく反省会をしていた。反省会の相手は、いつも私だ。余裕があるって言われたくなかったの? それとも、余裕がないって言われるのが怖いの? どっちも、ちょっと嫌だ。
家に帰って、コートを脱いで、暖房をつけて、いつもの動線をなぞる。冷蔵庫を開けて、作り置きの容器を取り出して、レンジに入れる。そういう「いつもの」をやりながら、今日の自分の中にできた小さな穴を、見ないふりしていた。
だけど穴は、見ないふりをすると逆に大きくなる。指で押さえようとするほど、空気が漏れるみたいに。
私は、ふとソファの横に積んである本の山を見た。買ったまま読んでいない本。読みかけの本。途中で閉じたままのページ。あの山は、私の「余白」だと思っていた。読書の余白、好きの余白、未来の余白。だけど今日は、その山が「先延ばしの証拠」みたいに見えた。
余白って、きれいな言葉だ。スケジュールがぎゅうぎゅうじゃないこと。心に余裕があること。部屋に空間があること。どれも美しい。でも私の余白は、ときどき「空っぽ」に似ている。埋めようとして、さらに疲れる。
それで私は、ドラッグストアに来た。ハンドクリームでも買えば、今日の疲れに名前がつく気がした。
ビタミン剤でも買えば、明日が少しだけマシになる気がした。生活の小さな買い物は、感情を整える儀式みたいなところがある。誰にも言えないモヤっとを、レジ袋の音で包んで、持って帰る。
余白が怖い夜

レジに並んでいるとき、前の人がスマホで動画を見ていて、笑い声だけが小さく漏れていた。私はそれを聞いて、なぜか焦った。笑える余裕がある人の隣で、私は何をしているんだろう。自分の機嫌を取るための買い物をしているだけなのに、どこか後ろめたい。
家に帰って、買ったハンドクリームを洗面台に置いた。パッケージは白で、必要以上に清潔な顔をしている。手の甲に少し出して、塗り広げる。
香りがふっと立ち上がって、すぐに消える。その短さが、今日の私の気分に似ていた。いい匂い、でも続かない。
あなたの手をふっくらハリのある若々しい手へ導く『ハンドピュレナ』「余白のある人生は美しい」って、誰かが言う。SNSでも、雑誌でも、たぶんたくさん言われている。余白を持とう、詰め込みすぎるな、余裕がある人が魅力的。
そういう言葉は、たしかに正しい。でも、その正しさが時々、私を刺す。余白を持てない私は、美しくないの? 余白を持とうとしているのに怖がっている私は、未熟なの?
私が今日モヤっとしたのは、「余裕ありそう」と言われたからだけじゃない。たぶん私は、余白を持つことが怖い。余白ができると、そこに自分の本音が入り込むから。
忙しさで埋めている間は、聞こえない声がある。「本当はどうしたい?」「本当は何が嫌だった?」その問いが、余白の中で大きくなる。
だから、あえて詰め込む。予定を入れる。タスクを増やす。誰かと会う約束をする。SNSを開く。音楽を流す。無音を避ける。そうやって、余白を作らないようにする。けれどその結果、余白がない人生が美しいわけでもない。ぎゅうぎゅうの毎日は、疲れる。疲れている自分が、また嫌になる。
私は「余裕」を、いつのまにか評価の言葉として受け取っていた。余裕がある=できる人。余裕がない=ダメな人。そういう二択。だから「余裕ありそう」と言われたとき、嬉しいはずなのに、心が引っかかった。
評価されたくないのに、評価を気にしている自分が露呈した気がした。まるで「あなたの頑張りは、がむしゃらじゃないから大丈夫だよ」と言われたようで、でも同時に「本気じゃないんだね」と言われたようにも感じてしまった。
それは、私の受け取り方の問題かもしれない。相手はただ、褒めたかっただけ。そこに悪意はない。分かっている。分かっているのに、心は勝手に翻訳してしまう。自分に厳しい翻訳機が、いつも内蔵されている。
夜、ベッドに入って電気を消すと、余白がやってくる。部屋が暗くなると、昼間に追い出していた気持ちが戻ってくる。私はその余白が怖くて、スマホを開く。光の塊を手元に置いて、考える暇を奪う。でも今日は、あえてスマホを置いてみた。
置いた瞬間、静けさが広がる。静けさは、優しいふりをして近づいてくるくせに、急に本音を連れてくる。
今日のうまくいかなかったことは、たぶん「うまく笑えなかった」ことだ。余裕ありそう、と言われたとき、私は笑った。いつものように。
けれどその笑いは、私の中のモヤっとを置き去りにした。置き去りにされたモヤっとが、夜になって追いついてきた。私は、追いつかれた。
余白があると、美しい、という言葉を信じたい。だけど私は、余白があると、汚いものも見える気がする。嫉妬とか、焦りとか、寂しさとか、言い訳とか。
日中は机の引き出しに押し込んでいるものが、夜の余白の中で散らばる。散らばったそれを見て、また自分を嫌いになりそうで、余白を避ける。
それでも、散らばるのは「生きてる証拠」でもある。散らばりがなければ、整っていて、きれいで、でもどこか無機質な部屋みたいになる。
私は今日、余白を怖がりながらも、余白に助けられている気がした。モヤっとを感じられるのは、心がまだ鈍っていないから。違和感を持てるのは、ちゃんと自分を守ろうとしているから。
余白の中に残る、小さな問い
「余白のある人生は美しい」って、たぶん、余白そのものが美しいというより、余白を受け入れられる人の姿が美しいのかもしれない。空いた時間を、焦らずに眺められる。予定がない夜を、寂しさだけで埋めない。失敗や後悔が入り込む余白を、すぐに塞がずに置いておける。そういう強さ。
私はまだ、その強さがない。余白ができると、すぐに埋めたくなる。自分の価値を証明したくなる。頑張ってるって言いたくなる。誰かに「大丈夫?」と聞いてほしくなる。でも、聞かれたら聞かれたで「大丈夫」と言ってしまう。矛盾している。
今日の私のモヤっとは、きっと明日になったら薄まる。仕事のメールを返して、電車に乗って、また「いつもの」をこなせば、余白は押し込まれる。
私は器用に、日常の中に自分をしまう。でも、しまい続けると、いつか取り出し方を忘れるかもしれない。
だから、今日だけは、余白を少しだけ置いておく。うまくいかなかったことを、うまく処理しないまま。結論を出さないまま。
私が「余裕ありそう」と言われてモヤっとしたのは、何を守ろうとしたからなんだろう。私は、本当はどんな言葉が欲しかったんだろう。あるいは、言葉なんて欲しくなかったのかな。
急いでいる理由を、私はたぶん知っている。急いでいないと、置いていかれる気がするから。誰かの人生が進んでいく音だけが、壁の向こうで鳴っているように聞こえるから。
結婚、昇進、引っ越し、出産、資格、投資、整った暮らし。タイムラインの上で、みんなの「次」が軽やかに更新されていく。その光景を見ていると、余白は「遅れ」に見えてしまう。休むことは、サボりに見えてしまう。
でも、遅れているのは本当に私なのか、それとも私の焦りなのか。焦りのほうが先に走って、私を引っ張っているだけかもしれない。
走らされているのに、自分で走っている顔をしてしまう。余裕があるように見えるのも、その顔のせいなのかな、と今さら思う。
明日になれば、また笑う。笑いながら、きっとどこかで小さく踏ん張る。その踏ん張りが、私の生活を支えている。だから踏ん張りを否定したくない。
ただ、踏ん張りっぱなしでいると、足の裏が痛くなる。痛いのに「余裕ありそう」って言われたら、そりゃモヤっとする。
余白は、美しさというより、呼吸のためのスペースかもしれない。吸って、吐いて、その間に少しだけ「何もしない」がある。
私はまだ上手に呼吸できない。息を止めて走りがちだ。でも今夜は、短くてもいいから、吐いてみる。
答えは出ないまま。だけど、出ないままのものが、私の中で静かに形を変えていく気がする。
余白の中で、私はまだ、私を見失っていない。




