なんとなく荒れやすい肌と、ちゃんと食べてる“つもり”の毎日

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ゆらがない肌を叶える“美容栄養素”って、結局「ちゃんと食べてるふり」の話かもしれない

肌を気にする女性

朝、駅のホームでコートのポケットに手を突っ込んだ瞬間、指先が紙やすりみたいに乾いていて、あ、これ昨日の空気の冷たさをまだ持ってる…って思った。
最近、肌が“荒れる”とか“赤くなる”みたいなわかりやすい事件は起きてないのに、なんとなく不安定な感じだけが残っていて、理由はたぶん仕事の締切と、寝不足と、あと「私、ちゃんと栄養とれてる?」っていう、答えの出ない問い。

今日の小さな出来事は、昼休みに同僚とコンビニへ行ったこと。
いつもの流れで「何食べる?」って聞かれて、私は反射で「うーん、なんでもいいよ」って返した。…ほんとは、なんでもよくないのに。
最近ちょっとだけ気になっていたのが“美容栄養素”で、ゆらがない肌ってスキンケアより前に、体の内側の材料が足りてるかどうかなんじゃないか、って思い始めていたから。

でも、そこで私が選びたかったのは、サラダチキンとか、ナッツとか、ヨーグルトとか、鮭のおにぎりとか、そういう「栄養の匂いがする」もの。
なのに手は、ふわっと甘い菓子パンの棚のほうへ伸びかけた。
私の中で“ちゃんとした人”の制服みたいに、栄養を語ることがある気がして、急に恥ずかしくなった。

わかる…栄養の話って、仲良い人ほど言いづらいとき、ない?

「最近、肌のためにさ〜」なんて言ったら、意識高いとか、丁寧な暮らし気取りとか、そういうラベルを貼られる気がして(たぶん貼ってくるのは他人じゃなくて私自身)、結局私は、いつも通りのパンとカフェラテを買って、レジ横のチョコまで追加して、なんなら自分で自分に「今日も頑張ってるし」って言い訳をつけた。
それで、帰り道にまた指先をこすって「うん、乾いてる」って、静かに後悔する。

ここまで書くと、すごく情けない話に見えるけど、今日の主役は“食べ物”じゃなくて、私の「ちゃんとしたくない気持ち」だと思う。
正確には、ちゃんとしたいのに、ちゃんとしてる人だと思われたくない気持ち。
この矛盾、けっこう根深い。

「美容栄養素」は、肌の“材料”と“守り”をつくるもの

「ゆらがない肌」を、私は最近“バリアが安定している状態”として考えるようになった。
乾燥しにくい、赤くなりにくい、刺激に反応しにくい。要するに、外の世界に対して過剰にビクッとしない肌。
そういう状態をつくるのに、栄養はざっくり2つの役割を持っていると言われていて、ひとつは「材料」、もうひとつは「守り」。

材料の代表は、たんぱく質。
肌も髪も爪も、ぜんぶ体が作ってる“構造物”で、たんぱく質が足りないと、修復も更新も遅くなる。これはもう、人生の土台。
そして守りのほうには、抗酸化に関わるビタミン類(CやEなど)や、ミネラル(亜鉛など)、脂質(オメガ3系脂肪酸など)が並ぶ。
栄養皮膚科学のレビューでも、ビタミンA/C/D/Eや亜鉛、オメガ3・6脂肪酸、ポリフェノールなどが皮膚の健康に関わる栄養素として整理されているのを見て、私は「肌って、やっぱり“体の一部”なんだな」と改めて思った。

ただ、ここで大事なのは、「どれを摂れば一発でゆらがない肌!」みたいな話じゃないってこと。
栄養は魔法じゃなくて、地味な積み立て。
しかも、摂った瞬間に肌が変わるわけでもない。むしろ変わらないから続かない。私みたいに。

私が今日いちばん刺さったのは「亜鉛」と「ビタミンC」だった

ボーとする女性

美容栄養素を調べていると、いろんな名前が出てくる。
コラーゲン、セラミド、鉄、ビタミンD、オメガ3、乳酸菌…。全部わかる、全部大事そう。
でも、今日の私に一番刺さったのは、いちばん地味そうな「亜鉛」と「ビタミンC」だった。

亜鉛は、体の中でいろんな酵素の働きに関わっていて、皮膚の維持や修復にも関係する、とされている。
日本のガイドライン系の文献でも、厚労省の推奨量として女性は1日8mgという数字が出てくる。
数字を見た瞬間、私は自分の1日の食事を思い出して、そっと目をそらした。
だって、朝はパン、昼もパン、夜は「今日は疲れたから」って麺。亜鉛どこにいるの。

ビタミンCは、コラーゲンの合成に関わることや、抗酸化の面でも皮膚に関係があるとされていて、レビューでも皮膚の恒常性の話の中で登場する。
私はサプリで解決しようとする癖があるけど、ビタミンCって、結局は果物とか野菜とか、そういう「買って、切って、食べる」という生活の地味な行動の中にある。
サプリは“ボタン”で、食べ物は“暮らし”。この違いが、今日の私にはちょっと痛かった。

「ゆらがない」は、栄養の話の前に“自分の世間体”を外すことだった

肌を気にする女性

今日、同僚とコンビニで私は、栄養の話をしなかった。
たぶん、しなくてもよかった。誰も求めてない。
でも、私がしなかった理由は「興味ないと思われたくない」じゃなくて、「意識高いと思われたくない」だった。

この気持ちって、仕事や人間関係にも似てる。
頑張りたいのに、頑張ってると思われたくない。
勉強したいのに、勉強してるって言えない。
ちゃんとしたいのに、ちゃんとしてる人の輪に入る勇気がない。

それで結局、私は“いつもの自分”を守るために、いつものパンを選ぶ。
そして家に帰って、一人でスマホを見ながら「ゆらがない肌 栄養素」って検索して、知識だけ増やして、冷蔵庫の野菜室を見て見ぬふりをする。
…ね、ちょっと自嘲したくなるでしょ。

でも、今日ほんの少しだけ、ささやかな変化があった。
帰宅してから、冷凍庫に眠ってた枝豆をチンして、味噌汁に卵を落として、コンビニで買った鮭おにぎりを“追加”した。
完璧じゃないし、映えないし、誰にも褒められないけど、「美容のため」というより「明日の私の機嫌のため」にやった感じがした。

栄養皮膚科学の論文やレビューを読んでいると、ビタミン類や脂肪酸、ミネラル、ポリフェノールみたいに、肌の状態に関わる要素がたくさん並ぶ。
でも実際の生活では、それらは“成分”じゃなくて、鮭、卵、豆、野菜、ナッツ、果物、ヨーグルト、そういう具体的な食べ物として目の前に現れる。
そして私にとっての最大の壁は、栄養が足りないことより、「それを選ぶ自分を、堂々と許せないこと」だった。

今日の違和感はそこ。
肌をゆらがせるのは、乾燥した風やストレスだけじゃなくて、私の中の「ちゃんとしてる自分を隠したい」っていう、妙な照れかもしれない。

夜、洗濯機が回る音を聞きながら、私はキッチンの隅で、開けかけのミックスナッツの袋を眺めた。
「これ、いつ買ったんだっけ」っていうくらい放置してたのに、今日はなぜか“食べ物として”じゃなく“保険として”見えた。
ナッツの脂質って、怖いようでいて、実は肌の「守り」にも関わる脂質の一部で、特にオメガ3系脂肪酸は炎症に関わる経路に影響する可能性がある、という話がある。
もちろん、ナッツを数粒食べたからといって肌が明日ピカーンと安定するわけじゃない。
でも、私が欲しかったのは“効果”よりも、「私は私を雑に扱ってない」という感覚だったのかもしれない。

それに、ゆらぎって肌だけの問題じゃなくて、生活全体の波の話でもある。
寝不足の翌日に甘いものを欲しがるのも、疲れた日に麺しか食べたくないのも、私の意志が弱いというより、体が「早く、簡単に、元気になりたい」って言ってるだけ。
そこに、たんぱく質やビタミン、ミネラル、脂質の“材料”が足りてないと、回復のスピードが遅くなって、結果的に肌も気分も一緒に揺れやすくなる。
私はこの「肌=生活の通信簿」みたいな感覚が、ちょっと怖い。だって誤魔化せないから。

あと、調べていて地味に気になったのが「腸」と「肌」の距離。
いわゆる“腸‐皮膚相関”みたいな話で、プロバイオティクスがアトピー性皮膚炎の補助療法として研究されている臨床試験やレビューもある。
私はアトピーの治療をしたいわけじゃないけれど、腸内環境って、結局はストレスや睡眠や食事の影響をモロに受ける場所で、つまり「私の生活の乱れの受け皿」みたいなところ。
肌が揺らぐとき、実は“表面”より先に、体の奥のほうがザワついているのかもしれない、と考えると、急に対策が派手なものじゃなくなる。

だから今日は、いきなり全部を変えようとしないで、ひとつだけ「足す」ことにした。
引く(我慢する)じゃなくて、足す。
パンをやめるんじゃなくて、パンにゆで卵を足す。
麺だけで終わらせないで、冷凍ほうれん草を足す。
コンビニで買うなら、いつものカフェラテに加えて、みかんゼリーでもいいからビタミンっぽいものを足す。
こういう、誰にも気づかれないレベルの小ささが、私にはちょうどいい。

で、ここが今日いちばんの本音なんだけど、
“美容のため”って言うと、私は途端にちゃんとできなくなる。
「美しくなりたいでしょ?」って急かされる感じがして、反発したくなる。
でも「ゆらがない肌=明日の自分が困らない」って言い換えると、少しだけ受け入れられる。
仕事の朝にファンデがのらないとか、昼過ぎに顔がつっぱるとか、会議中に頬がムズムズするとか、そういう“小さな困りごと”が減るだけで、1日のストレスがひとつ減る。
それって、すごく現実的で、私の生活にちゃんと効く。

そして、こういう小さな選択をしているときに限って、私は誰かに見られたくない。
「え、健康意識?」って言われたくない。
たぶん私は、頑張りを茶化されるのが昔から苦手で、先回りして自分で自分を茶化して逃げる癖がある。
でも、逃げながらでもいいから、少しずつ“自分を守る側”に回れたら、肌も気持ちも、ほんの少し揺れにくくなる気がする。

明日もたぶん、私はコンビニで迷う。
パンを選びながら、サラダチキンを横目で見て、何回か心の中で会議して、結局パンに戻るかもしれない。
でも、その会議があるだけ、少しだけ前よりは“内側”に目が向いてる気がする。

明日、同僚とまたコンビニに行って、私が鮭おにぎりを選んでも、誰も何も言わないはず。
言わないのに、勝手に恥ずかしがってるのは私だけ。
この“ひとり芝居”を、そろそろ終わらせたい。

あなたは最近、体のために選びたいものがあるのに、世間体とか照れとかで、そっと引っ込めたこと、ない?

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