1月が終わらない気がする朝に、理由もなく心だけ先に疲れていた話

朝7時ちょい、駅前のコンビニの前。まだ太陽が「やる気」を出してないみたいな色で、空気だけがやけにキリッとしている。マフラーの端っこが口に当たって、ちょっと湿った。レジ横の肉まんが湯気を立ててて、「あ、冬ってこういうことだった」って、今さら思う。
今日、うまくいかなかったことは小さい。小さすぎて、人に言うと逆に恥ずかしいやつ。
改札を抜けた瞬間、ICカードの残高がギリギリで、ピッて鳴って止められた。後ろに並んでる人の気配が、背中の真ん中に突き刺さる。あわててチャージして、通れて、何事もなかったみたいに歩いたけど、胸の奥だけが「今の、見られた……」って勝手に赤くなる。たぶん誰も気にしてない。分かってる。でも、分かってても、心ってすぐには追いつかない。
それで思った。1月って、こういう「誰にも迷惑かけてないのに自分だけが疲れる」瞬間がやけに多い気がする。
年が明けたばかりなのに、もう月末みたいに心がへとへとしてる。カレンダーを見ると、まだ1月。しかも、あと数日残ってる。体感の1月が、二段重ねでのしかかってくる。
うまくいかなさの正体は、たぶん「光」と「切り替え」と「私の気のせい」

私、正直に言うと、1月って苦手だ。
12月の終わりに「今年もおつかれさま」って感じでふわっと包まれてたのに、年明けと同時に急に「さあ、通常運転ね!」って言われる。エンジンの温度がまだ上がってないのに、いきなり高速道路に乗せられるみたいな。アクセル踏めって言われても、こっちはまだ靴ひも結んでる。
しかも冬って、光が少ない。帰り道、17時すぎにはもう暗くて、街灯の下でだけ生きてる気分になる。明るい時間が短いと、気持ちが縮むのって、私の気のせいだけじゃないらしい。冬に起こる季節性の落ち込みは、日照の減少が体内時計(睡眠や気分に関わるリズム)に影響して、眠気やだるさ、食欲の変化が出ることがあるって書かれていた。疲れやすいとか、寝ても寝ても眠いとか、炭水化物がやたら恋しくなるとか、そういうやつ。冬に症状が出やすい「季節性うつ(SAD)」として説明されることもあるみたい。全部が病名になるわけじゃないけど、「冬はしんどくなりやすい」っていう土台があるのは、ちょっと安心した。私の根性不足だけじゃないのかもって。
それに、年末年始の「非日常」からの反動も大きい。休みって、たしかに気持ちを回復させるけど、その効果は意外とすぐ薄れて、仕事や家事の通常ルートに戻るときに、認知的にも感情的にも負荷がかかる、っていう話も見た。メールの山、決めることの多さ、いきなり全力を求められる感じ。あれ、地味に心を削る。しかも削られてる最中は「私が弱いから」って思いがちで、二重にしんどい。
……ここまで書いて、ちょっと笑う。私はいま、1月に文句を言いながら、きっちり理由を集めている。そういうところが、私らしい。納得しないと落ち着けないくせに、納得したところで気分が晴れるわけでもない。理屈と感情は、別の部屋に住んでる。
今日のモヤっとは、たぶん「ICカードの残高」じゃなくて、「私の心の残高」だった。
年が変わったからって、残高が増えるわけじゃないのに。むしろ年末に使いすぎて、心の財布がスカスカのまま1月を走ってる。気づけば、節約アカウントみたいに感情も「今月は控えめに」ってやりたいのに、現実は普通に出費する。人に笑われたくない、ちゃんとして見られたい、遅れたくない、置いていかれたくない。見えない支払いが、毎日ちょこちょこ発生してる。
それで、さらにやっかいなのが「新年」という看板だと思う。
「今年はこうなりたい」「新しいことを始めたい」って、言葉が勝手に飛んでくる。SNSを開くと、整った部屋、整った生活、整った目標。みんなが白いノートを開いて、まっすぐな字で未来を書いている。私は、白いノートを買っただけで満足して、袋のまま机の端っこに置いてる。たぶんそれも私。
私が今日感じた違和感は、あの改札の一瞬じゃなくて、そのあとだった。
止められて、チャージして、通れて。普通なら「よかった」で終わるのに、心のどこかがずっと熱い。恥ずかしさと、悔しさと、焦りが混ざった熱。誰かに責められたわけじゃないのに、自分だけが「今のはダメ」って判定を出してる。まるで、年明けの私自身が、私を審査してるみたいだった。
「ちゃんとしなきゃ」って言い方、私はあんまり好きじゃない。
でも、1月って、その言葉がやけに大きくなる。寒さと暗さで音がよく響くみたいに、「ちゃんと」が部屋の壁に反射して、戻ってくる。夜、洗い物をためたままソファに沈んでるとき。冷凍ごはんをチンして、器に移す元気もなくて、パックのまま食べてるとき。メイク落とさず寝落ちして、朝、肌がつっぱるとき。ひとつひとつは小さいのに、「ほら、ちゃんとしてない」って、心が勝手にメモを取る。
私ね、たぶん1月の長さに疲れてるんじゃなくて、「1月の空気に合わせようとしてる自分」に疲れてる。
年が変わったんだから、気持ちも新しく、シャキッと。っていう空気。だけど実際の私は、年をまたいでも、昨日の私の続きだ。洗濯物の山も、冷蔵庫の半端な野菜も、うっすら残った不安も、そのまま持ち越してる。持ち越しデータが重いまま、新しいステージに入ってしまった感じ。
ここまで読んで、「じゃあどうしたらいいの?」って思うかもしれない。
私も思う。答えがほしい。明日から軽くなりたい。スッキリしたい。
でも、今日は答えを出し切りたくない。というか、出せない。出せたら、もう少し大人になってる気がする。私はまだ、揺れてる。
ただ、ひとつだけ、気づき未満のことはある。
冬のしんどさって、「がんばり方」を間違えると、さらに深くなる気がする。光が少ない季節は、気分や睡眠が影響を受けやすいから、いつもと同じペースを自分に要求しすぎないほうがいい、みたいな話を読んだ。自分を責めない、小さなルーティン、少しでも日光。そういう、地味な処方。派手な変身より、今日をこぼさないほうが大事なのかも。
でもさ、それって、できる日にしかできない。
できない日もある。やる気が底に張り付いて、ヘラでこそげても動かない日。そういう日に「自分を責めない」っていうこと自体が、いちばん難しい。責めないって、どうやって?ってなる。責めるほうが簡単だもん。慣れてるし。
だから私は今日、改札のことを、誰にも言わなかった。
言ったら軽くなる気もしたけど、軽くなる代わりに「笑い話」にしてしまいそうで。それが嫌だった。恥ずかしかった自分を、ちゃんと恥ずかしがったままにしておきたかった。変な話だけど、私にとっては、そのほうがやさしい。
夜、帰ってきて、玄関のドアを閉めた瞬間だけ、少しだけ安心した。
外の世界の「1月」を、いったん部屋の外に置けた気がした。エアコンの風が乾いてて、頬がピリピリした。加湿器の水を入れようと思って、結局あと回しにした。こういうところが、ほんとに私。
それでも、カレンダーは進む。進むのに、心が置いていかれるときがある。
1月って、たぶん「心が追いつくまでの助走期間」なんじゃないかと思う。年が変わるスピードが速すぎて、心だけが渋滞に巻き込まれてる。私は渋滞の中で、ハザードをつけて、ただ待ってる。待つのが下手なくせに。
……ねえ、もし同じように「1月、長い」って思ってる人がいたら、
それは怠けじゃなくて、ただの季節の仕様かもしれない。そう思えたら、少しだけ呼吸がしやすい。私はまだ、うまく呼吸できたりできなかったりだけど。
それに、1月の夜って、やたら静かで、静かなぶんだけ自分の雑音が大きく聞こえる。
お風呂上がりに髪を乾かしながら、鏡の中の顔が「もう少し頑張れ」って言ってくる気がして、ドライヤーの音でごまかす。ちょっと前までの私は、そういう声にすぐ従ってた。従って、倒れて、また従っての繰り返し。
でも今日は、従わない練習をしてみる。明日の私に丸投げするんじゃなくて、今日の私をこれ以上追い立てない練習。
最後に、今日の自分に言えるのは、これだけ。
長すぎる1月の途中で疲れた心は、たぶん、ちゃんと歩いてる証拠だ。




