なんとなく自分を雑に扱ってしまう夜に、自宅で静かに整うハーブピーリングという選択

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帰宅後に気持ちがほどけない日でも、家でできるハーブピーリングがそっと余白をつくる夜

くつろぐ女性

帰宅したとき、部屋の中が少しあたたかすぎて、コートを脱いだあともしばらく肩のあたりだけ春に追いつけていない感じが残っていた。昼間はそこまででもなかったのに、夜になると妙に空気がこもる。

玄関に置いた紙袋の口から、買ってきた豆腐と長ねぎがのぞいていて、冷蔵庫には中途半端に残っためんつゆと、賞味期限が今日までの納豆が一つ。生活ってたいてい、映えないほうから先にこっちを見てくる。

電気をつける前の薄暗い部屋で、ローテーブルの端に置きっぱなしにしていた箱が目に入った。少し前に届いて、そのままになっていたBQCELL DARMA SKIN PEELING。

別に忘れていたわけじゃない。ただ、見えているのに、手をつけていなかった。そういうものが部屋の中にひとつあるだけで、思っている以上に、こっちの気持ちは静かに急かされる。

早く使わないと、みたいなことではなくて、もっと言いにくい急かされ方だった。こういうものを買ったのなら、それなりに「ちゃんとした自分」にならないといけない気がする、というやつ。

箱を開けるだけで、昨日までの自分より少し整っていて、少し意識が高くて、少し先のことを考えている人にならなければいけない気がしてしまう。たかが一箱なのに、勝手に役割を背負わせて、勝手に緊張している。われながら面倒くさい。

私は流しにコップを置いて、水を半分だけ飲んだ。喉が渇いていたはずなのに、半分でやめたのは、たぶん考えごとをしたかったからだと思う。こういうとき、人はお腹も空いているし疲れてもいるのに、先に立ち止まる。べつに劇的な悩みがあるわけじゃない夜ほど、そうなる。

わかる、と思う人、たぶん少なくない気がする。大きな問題がある日より、何も起きていない日のほうが、自分の輪郭の雑さだけが目につくことがある。

今日は、その箱をやっと開けた、というだけの話なのかもしれない。でも、実際には、箱を開けたことより、開ける前に私が何をためらっていたのかのほうが、少し長く残った。

机の端に置いたままのもの

箱を手に取ったのは、夜の九時を少し過ぎたころだった。炊飯器のスイッチを押すほどでもないし、外食をする元気もなくて、冷凍うどんにしようと決めたあと。

鍋に水を入れて火をつけて、沸くまでのあいだに、なんとなく説明を読もうと思った

。何かを始めるときって、だいたいそのくらいの温度がちょうどいい。やるぞ、ではなく、ついでに、くらいのほうが体が動く。

封を切る音が思ったより乾いていて、その小ささに少し安心した。もっと大げさな始まり方だったらどうしようと思っていたのかもしれない。

中身を出して、並べて、また戻して、説明を読んで、読み返して、もう一度箱を見る。誰も見ていないのに、こういうときの私は妙に段取りが悪い。自分のためのことなのに、初めてのことに慣れていないのがばれる感じがして、ひとりなのに少し気まずい。

そのときスマホが震えて、会社のグループチャットに連絡が入った。明日の朝の会議が少し早まるらしい。画面を見た瞬間、「ああ、はいはい」という気持ちと、「なんで夜に言うんだろう」という小さな棘と、「でも明日忘れたら困るしな」という諦めが、きれいじゃない順番で並んだ。通知を閉じて部屋を見回したら、ソファの肘掛けには昨日脱いだカーディガン、床には読みかけの本、キッチンのシンクには朝のマグカップ。

こういう散らかり方をしている部屋で、何かを丁寧に始めようとすると、ちょっとだけ笑えてくる。生活感って、すました顔を許してくれない。

それでも箱を閉じなかったのは、今日は別に完璧な夜じゃなくていい、と思えたからだった。いや、思えたというより、完璧じゃないことがもう十分そろっていたから、今さら取り繕っても仕方ない、に近い。

ハーブピーリングという名前だけ聞くと、もっと意識の高い夜にやるものみたいなのに、実際の私は冷凍うどんの湯気を背中で感じながら説明書を読んでいた。そのずれが、なんだか少しよかった。

たぶん私は、何かを「始める」ことそのものより、「始めた自分に似合う空気」を先に用意しようとして、よく動けなくなる。部屋が片づいてから。

ちゃんとお風呂に入ってから。気持ちが落ち着いてから。明日の予定を確認してから。そうやって条件を足していくと、だいたい今日じゃなくなる。明日に回したものは、たいてい、明日も少し遠い。

誰にも言わない、小さく意地の悪い本音

美肌女性

正直に言うと、その箱を開けるのをためらっていた理由は、「めんどうそう」だけじゃなかった。もっと、言うと少しかっこ悪い理由があった。

こういうものを買うときの私は、未来の自分に期待している。ちゃんと続ける人、手をかける人、自分を後回しにしない人。そういう少しだけ立派な人物像を、会計のついでに一緒に買っているところがある。

でも、届いた箱を前にした現実の私は、帰宅して真っ先に靴下を脱ぎ散らかし、空腹すぎて立ったままチーズを一口食べ、洗濯物をたたまず椅子にかけ、気づけばスマホでどうでもいい動画を見て二十分溶かすタイプの人間だ。知っている。ずっと前から知っている。

なのに、たまに忘れたふりをして、未来の自分にだけ品のいい期待をかける。そのたびに、現在の自分が少しだけ悪者になる。

本当はそこに、少し意地の悪い気持ちも混ざっていた。「どうせまた、買っただけで満足したんでしょ」と自分で自分に言いたくなるような感じ。

誰かに責められたわけでもないのに、先回りして自分を雑に扱う癖がある。失敗する前に少し下げておけば、傷が浅いと思っているのかもしれない。実際は逆で、そういう小さな自己いじめのほうが、後からじわじわ残るのに。

たぶん、同世代のひとり暮らしの女の人って、自分のことを甘やかすのが下手というより、自分にかける期待の形がいびつなんだと思う。

仕事では遅れないようにして、友人にはちゃんと返事をして、家族には心配をかけないようにして、お金のことも将来のこともなんとなく頭の隅に置いて、その合間に「自分のための何か」まで、きれいにこなそうとする。

そんなの、うまくいく日のほうが少ない。少ないのに、うまくいかなかった日は、自分だけ段取りが悪いみたいな顔をして落ち込む。あれ、ちょっと損だ。

箱を前にして私がいちばん嫌だったのは、「これを使える私は、ちゃんとしている」という物語に、自分で勝手に飲み込まれそうになることだった。

別に、何かを使うことも、何かを始めることも、そんなに人格と結びつけなくていいはずなのに。

やるか、やらないか。今日は開けるか、まだ開けないか。本来それだけの話なのに、いつのまにか「どんな女か」みたいな話にしてしまう。そういう飛躍をする夜、ある。

私は少しだけ意地悪な気分で、説明書を読みながら思った。変わりたいわけじゃなくて、たぶん今日は、雑に扱ってきた時間を一回だけ止めたかったんだな、と。

きれいになりたい、と言うと何か別の話になってしまうけれど、せめて自分に対して、投げやりじゃない手つきで十分な夜がある、くらいのことは、もう少し許してもいいのかもしれない。

うまくやることより、乱暴にしないこと

結局その夜、私は全部を完璧にはできなかった。うどんは少し伸びたし、キッチンの片づけも後回しにしたし、説明を読むたびに「これで合ってるっけ」と戻った。

慣れていない手つきで、間違えないように、でも大げさに緊張しすぎないようにしていたら、思ったより時間がかかった。たぶん、外から見たらかなり要領が悪かったと思う。

それでも不思議だったのは、終わったあとに残った感じが、「ちゃんとできた達成感」ではなかったことだ。むしろ逆で、別に上手ではなかった、でも自分を急かさなかった、という感覚のほうが近かった。最近の私は、何をしていても、頭のどこかでずっと急いでいた気がする。

ごはんを食べるのも、メッセージを返すのも、休日の買い物も、寝る前の動画さえも。

早く消費して、早く片づけて、早く満足したい。そのくせ、心だけが追いついていなくて、何をしても少し散漫になる。

でも、今夜みたいに、ひとつの動作に対していちいち立ち止まる時間は、非効率なくせに、あとから思い出すと妙に手触りがある。ああ、私はあのとき、ちゃんと自分の手を見ていたな、と思える。

そういう時間は役に立つとか立たないとかより、「乱暴に過ごさなかった」という記憶として残るのかもしれない。

明日すぐ真似できることがあるとしたら、たぶん大げさな習慣づくりじゃなくて、何かを始める前に「それに似合う自分」になろうとしすぎないことだと思う。

部屋が散らかっていてもいいし、気分が乗っていなくてもいいし、完璧な導入がなくてもいい。

机の端の箱を開けるとか、洗濯物を一枚だけたたむとか、冷蔵庫の奥の豆腐を今日はちゃんと使うとか、そのくらいの始まり方で十分なんだろう。

ちゃんとしてからやる、ではなく、やっている数分だけでも雑にしない。たぶんその順番のほうが、生活には合っている。

私はこれまで、「自分を大切にする」という言い方に少しだけ身構えていた。言葉がきれいすぎて、すぐ自分が対象外になるからだ。

でも、今夜思ったのは、自分を大切にするというより、自分に対して乱暴な言い方を一回休む、くらいのことならできる日がある、ということだった。

たとえば「どうせ続かない」と言わない。たとえば「またこんなもの買って」と鼻で笑わない。たとえば、不器用でも一回やったことを、点数で片づけない。そんな小さなやさしさは、前向きさよりずっと地味で、でも案外、明日の朝まで残る。

夜の机に残る、少しだけましな沈黙

全部が終わって、部屋の電気を一段だけ暗くした。シンクにはまだ洗っていない鍋があって、ソファには相変わらずカーディガンがかかっていて、生活は特別きれいになっていなかった。

ただ、机の端に置きっぱなしだった箱が、もう「まだやっていないこと」ではなくなっていた。その変化は小さいのに、部屋の空気を少しだけ静かにした。

人って、何かを終えたから楽になるんじゃなくて、「先延ばしにしている自分への視線」が一本減るから、少し呼吸がしやすくなるのかもしれない。

やる前より劇的に何かが変わったわけではない。それでも、見て見ぬふりをしていた小さな引っかかりが一つなくなるだけで、部屋の中の沈黙はずいぶんましになる。夜ってたぶん、そういう小さな未完了にいちばん厳しい。

明日また会社に行って、たぶんいつも通り、細かいことに気を取られて、帰ってきたら疲れて、全部をうまくはできないと思う。冷蔵庫の中身は相変わらず中途半端だろうし、洗濯物もきっと完璧には回らない。

でも、そういう生活の中で、自分に何かをしてあげるという行為は、必ずしも気分が上向いた日だけのものじゃないのかもしれない。むしろ、少しひねくれていて、少し面倒で、少し自分にがっかりしている日でも、手つきだけは投げないでいられる。そのことのほうが、私には少し救いだった。

変わりたいから何かをする日もある。でも、変わりたいとさえ思えない日に、それでも箱を開ける夜がある。その違いは小さく見えて、たぶん生活の芯ではけっこう大きい。自分を好きになれたとか、明日から頑張れそうとか、そういうきれいな話ではない。ただ、自分に対して雑なまま一日を閉じなかった、というだけのことだ。

その程度のことを、わざわざ覚えておく必要はないのかもしれない。でも、何も成し遂げていないように見える日ほど、実はそういう小さな手つきだけが、その日の輪郭を決めている気もする。

机の上に残った静かな感じを見ていたら、ちゃんと生きるって、立派なことを足すより、乱暴に済ませない瞬間をひとつ置くことなのかもしれない、と思った。たぶん明日の私はまた雑になる。それでも、せめてときどき、自分に触れる手だけは、そんなに荒れたものにしないでいたい。

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