頑張りすぎた日の終わりに選びたい、着ることで休む疲労軽減パジャマの話

冬って、部屋の中にいるのに、ずっと外気みたいな冷たさが残る日があります。
今日の私はまさにそれで、夜の22時すぎ、キッチンとベッドの間を行ったり来たりしながら、結局なにも片づかないまま、電気ケトルの「カチッ」って音だけがやけに響いていました。
あったかいものを飲めば気持ちがほどけると思ったのに、白湯を口に含んでも、体の芯じゃなくて“心の表面”だけが濡れる感じ。
うまくいかなかったのは、仕事の段取り。
メールの返信を先にしておけばよかったのに、なぜか私は「気合いが必要なタスク」から手をつけて、結局、全部が中途半端になりました。
しかも帰り道、イヤホンの充電が切れて、駅のホームで「自分の呼吸音」だけが急に大きくなって。
それが妙に恥ずかしくて、早足になってしまった。
帰宅してからの私は、機嫌を取り直すのが下手です。
ちゃんと疲れているくせに、疲れを認めたくない。
「今日は頑張った」って言えばいいのに、なぜか「今日もダメだった」に吸い込まれる。
そのくせ、明日の私にだけ期待してしまう。…明日の私、かわいそう。
そんな夜に限って、寝る準備って、ただの生活じゃなくて“儀式”になる。
お風呂に入って、肌にクリームを塗って、スマホの明かりを落として、部屋を暗くして。
ここまでやってやっと、眠れる資格をもらえる気がする。
で、眠れなかった。
布団の中で目を閉じて、次の瞬間には、昼間の失敗が再生される。
あの言い方、余計だった。
あの沈黙、気まずかった。
あの「大丈夫です」って笑った顔、嘘が薄すぎた。
眠れないこと自体よりも、眠れない私を「ちゃんと休めない人」だって決めつけてしまうのが、いちばん疲れます。
そこで、ふと頭の隅にあった言葉を思い出しました。
疲労軽減パジャマ・リカバリーウェア【SCIENSLEEP(サイエンスリープ)】。
本当はこういうの、私は“最後の手段”にしたがるタイプです。
道具に頼るのが怖い。
買って効かなかったら、落ち込む言い訳が増えるから。
「ほらね、私ってこういうのも続かない」って、心がすぐ結論を出しにいく。
それでも最近、「休む」って才能なんじゃないかと思うことが増えました。
がんばるのは、なんとなくできる。
でも“回復する”って、意外と技術がいる。
眠るだけじゃ戻らない日がある。
寝たのに、起きた瞬間からもう疲れている朝がある。
だから今日は、ちゃんと調べました。
SCIENSLEEPは、いわゆるリカバリーウェアの中でも「一般医療機器(家庭用遠赤外線血行促進用衣)」として届出されていて、遠赤外線の血行促進作用によって、疲労や筋肉のこりなどの症状改善を目的にしているらしいです。届出番号も明記されていました。
“着るだけでどうにかなる”って、都合の良い言葉に聞こえるけど、少なくとも「どういう仕組みで、何を目的にしているか」は言語化されている。そこが少しだけ安心でした。
素材には医療機器メーカーと共同開発した遠赤外線放射セラミックス素材「METECH」を使っていて、ミクロンレベルのセラミックスを繊維に融合させている、という説明も。
さらに、ウェーブパターンの設計で体全体をバランス良くカバーする、といった“構造の話”も書かれていて、ただのふわふわパジャマじゃない顔をしていました。
それから私が気になったのは、機能そのものより、むしろ「寝返りのしやすさ」にまで触れていたところ。
寝返りって、睡眠中の小さな動きなのに、うまくできないと、肩や背中が朝に残る感じがする。
GUNZEの紹介では、肩のラインやアームホールの設計、背中が出にくい前後差設計などで、寝返りの負担を減らす工夫が書かれていました。
…こういうの、地味だけど、私の生活には地味が効く。
派手な変化より、「朝の不機嫌が一段階マシ」みたいな変化のほうが、人生を救う気がするから。
“回復”って、ちゃんと自分に許可を出すこと

でも、ここでまた私のいやらしい部分が出てきます。
「医療機器」って言葉に、少しだけ頼りたくなる。
根拠のあるものに寄りかかりたくなる。
だって、私の疲れって、説明が難しいから。
たとえば今日の疲れは、歩数でも睡眠時間でも測れない。
人に言えるほどの大事件があったわけじゃない。
でも、心の中にはずっと小石が入っているみたいで、歩くたびにカラカラ鳴る。
この疲れを、私はいつも「気のせい」にしてしまう。
気のせいにすると、頑張り続けられるから。
頑張り続けると、ある日突然、何もできなくなるのに。
だから、SCIENSLEEPみたいなリカバリーウェアを調べながら、私が一番揺れたのは、効果の話じゃなくて、もっと手前のところでした。
“疲れている自分を、疲れているって扱うこと”への抵抗。
疲れていると認めたら、負ける気がする。
休んだら、置いていかれる気がする。
ちゃんとしないと、誰にも選ばれない気がする。
婚活中の「ちゃんとしてる私」は、こういう夜に簡単に崩れます。
SNSで見る、整った暮らしの人たち。
きれいな部屋、栄養のあるごはん、丁寧なスキンケア。
そういうのが眩しくて、私は自分の散らかった床を見ないふりをする。
でも本当は、眩しいんじゃなくて、怖いんだと思う。
“あっち側”に行けない自分が、確定してしまいそうで。
リカバリーウェアって、たぶん、魔法じゃない。
遠赤外線で血行を促進して、疲労やコリの軽減が期待できる、という枠組みはある。
でも、それで人生が整うわけじゃない。
それでも、私が今日、少しだけ救われたのは、
「休むことを“仕組み”で支えてもいい」って考え方でした。
根性じゃなくて、環境。
気合いじゃなくて、設計。
自己管理の反省じゃなくて、回復の導線。
そう思えた瞬間、布団の中の私が、ほんの少しだけ責めるのをやめたんです。
眠れない私を、だめな人にしないで、ただの“疲れてる人”として扱ってみる。
それだけで、呼吸が浅いままでも、胸の奥が少しだけ静かになる。
「効く・効かない」より先に、私は何を期待してるんだろう
ここまで書いておいて、私はまだ買っていません。
試してもいません。
だから、綺麗な感想は言えない。
ただ、今夜の私は、ひとつだけ自分に問いが残りました。
私は、リカバリーウェアに何を期待してるんだろう。
疲労が軽くなること?
朝のだるさが減ること?
肩こりがマシになること?
もちろん、それもある。
でも多分、それ以上に私は、
「休んでもいい」っていう許可を、形のあるものから受け取りたいのかもしれない。
パジャマって、いちばん無防備な服です。
誰にも見せない時間のための服。
“外向けの私”を脱いだあとに残る、いちばん正直な私が着るもの。
だからこそ、そこに「回復」という言葉が乗ると、少し怖くなる。
回復できなかったら?
また失敗したら?
また、私のせいにしてしまうんじゃないか。
でも同時に、
回復できたら、って思ってしまう。
明日の私が、今日の私を少しだけ許せたら。
朝、鏡の前でため息をつく回数が減ったら。
「今日はまあまあ」って言える日が増えたら。
その期待が、健気で、ちょっと切ない。
結論は出さないまま、今日はこの揺れを持って眠りたい。
もし次に買うものが“かわいい服”じゃなくて“回復のための服”だったら、
私はきっと、今の自分を少しだけ大事にし始めたってことなのかもしれない。
——部屋の電気を消したあと、暗闇の中で、私は自分の疲れにだけ、そっと名前をつけた。




