ひとりで帰る夜にだけ浮かぶ本音と、誰にも出さなかった気持ちの話

夕方、スーパーのレジ前で、少しだけ空気が乾いていました。
店内の暖房と、外から持ち込んだ冷たい空気がぶつかって、首元だけが変に熱い。買い物かごの中には、安売りの卵と、なぜか手が伸びた小さなプリン。たぶん今日は、ちゃんとしたごはんを作る自信がなかったんだと思う。
レジの列は、ふつうに長くて、ふつうに静かで、ふつうにみんなスマホを見ていました。
その「ふつう」の中で、私だけが勝手に焦っている感じがして、息を浅くしてしまう。イヤホンもしてないのに、外の音を遮断したい気持ちだけは強くて、視線の置き場を探しながら、足元の床の模様を数えていました。

今日うまくいかなかったことは、たぶん大きく言えば“仕事”なんだけど、ほんとはその前の、もっと小さいところから崩れていた気がします。
朝、鏡の前で「今日の顔、機嫌わるいな」と思った瞬間。肌というより、目の奥。何もしてないのに、何かに追われているような目。そういう日って、たいてい後からちゃんと当たる。
昼の会議で、求められていたのは意見じゃなくて、賛成のうなずきだった。
それに気づいたのは、発言しようとして一瞬だけ間が空いたとき。空気が「それ、今は言わなくていいよ」と言った。私の喉が、その空気の言葉を先に理解して、勝手に黙ってしまった。
あとで思い出すと、悔しいというより、情けなさのほうが近い。情けないって、誰かに向ける言葉みたいで、できれば自分には使いたくないのに、今日は自分にしか当てはまらない。
帰り道、駅のホームで風が強くて、髪が顔に張り付いた。
直したいのに手が動かない。みんなの視線が怖いわけじゃないのに、手を上げることすら“余計な動き”に感じてしまう。私はいつから、こんなに静かに縮こまるのが上手くなったんだろう。

家に帰って、部屋の灯りをつけた瞬間、ほっとしたのに、同時に少しだけ寂しくなりました。
ひとり暮らしって、自由だし、好きだし、慣れている。
なのに、今日みたいな日は、自由が「全部自分で引き受けてね」という形になって戻ってくる。誰も責めないし、誰も助けない。助けを求めればいいだけなのに、その“求める”が面倒というより、怖い。
言えなかった一言の居場所
夕飯は結局、卵とごはんで雑に済ませました。プリンは冷蔵庫に入れたまま。
食べながら、昼の会議の場面を何度も再生してしまう。「あのとき、こう言ってたら」とか、「ああ言えばよかった」とか、そういう反省はたぶん正しそうに見えるけど、実際は自分を責める形にしかなっていないのに。
言えなかった一言って、時間が経つほど重くなる。
言葉そのものの重さじゃなくて、「私は自分の言葉を守れなかった」という感覚が、ずっと残る。誰に見せるでもないのに、私の中の小さな審査員が、ずっと減点してくる感じ。
そして不思議なのは、その減点の声が、すごく“親切”な言い方をすること。
「空気読めたね」
「波風立てないでえらい」
「大人だよ」
褒め言葉みたいに包んでくるから、余計に反論しづらい。
「平気そう」に見える自分への違和感
私、たぶん外から見ると平気そうなんだと思います。
淡々としてるとか、落ち着いてるとか、感情が安定してるとか。言われたこともある。
でも今日、レジ前で床の模様を数えていた私は、ぜんぜん安定してなかった。むしろ揺れてるのを必死に隠してただけで、隠すのが上手いから、安定して見えていただけ。
“平気そう”って、便利なラベルだなと思う。
貼られると楽だし、自分でも貼ってしまう。
でもそのラベルがあるせいで、苦しいときに「苦しい」と言うタイミングを失う。
それに、平気そうな人が急に崩れると、周りもびっくりするし、自分もびっくりする。崩れる前に、ちょっとだけ弱音を混ぜられたらいいのに、私はそれが下手だ。
今日は、誰にも言わなかった感情がひとつあります。
「私、ここにいていいのかな」という、すごく子どもみたいな気持ち。
そんなこと、30歳にもなって言うのは恥ずかしい。
でも、恥ずかしいって思うこと自体が、なんだか変だとも思う。人って、何歳になったら“ここにいていい”が確信に変わるんだろう。確信なんて、最初から持ってる人だけのものなのかな。
たぶん本当は、意見が言えなかったことより、言えなかった自分を“理解してあげる人”が自分の中にいなかったことが、いちばん堪えた。
励ましでも正解でもなくて、「言えなかったんだね」と言うだけの声。
それがあるだけで、今日の重さは少し変わったかもしれない。
解決策みたいなものを今ここで書く気にはなれないけど、こういう“言えなかった日”の自分の扱い方については、たまにメインブログのどこかに置いています(もし同じような夜だったら、https://www.sakuluck.work/ をそっと覗いてみてください)。
それでも、まだよくわからないままです。
“言えなかった”は、次に言えるための準備なのか、それともただの諦めなのか。
私は今日、空気を読んだのか、それとも自分を消したのか。
その境目が曖昧で、曖昧なまま寝たくないのに、曖昧なまま眠るしかない夜もある。
プリンは結局、食べませんでした。
冷蔵庫の中で、静かに甘いまま、明日に持ち越されている。