寝不足と我慢が重なった日、肌より先に心が限界を出していた話

今朝、カーテンの隙間から入る光が、やけに白く見えました。冬の朝って、部屋の空気がまだ起きてなくて、洗濯物も、食器も、観葉植物の葉っぱも、全部「冷たいもの」として存在してる感じがする。私はその空気の中で、マグカップにお湯を注いで、しばらく立ったまま湯気を見ていました。
今日は肌の話をしたい、って思っていたのに、鏡の前で「荒れてるな」と確認した瞬間に、いちばん最初に浮かんだのは美容液のことじゃなくて、たぶん別のことでした。私の肌荒れは、化粧品のせいじゃない日が多い。寝不足、ストレス、冷え、食事、ホルモン。分かってるのに、分かってないふりをして、「新しい何か」に期待してしまう癖がある。
でも今日は、その癖の話をしたいわけじゃない。今日は、もっと違う、たぶん今まであまりちゃんと書いてこなかった自分の行動の話を書きたい。
朝、スマホの通知が鳴っていて、そこに一件だけ、短いメッセージがありました。
「昨日ごめん。ちょっと言いすぎた」
たったそれだけ。誰から、とは書かなくてもいいと思う。たぶん読む人も、こういう短い謝罪のメッセージが持つ温度を知ってる。冷たくもないけど、あったかくもない。言葉としては“謝っている”のに、読み手の心だけが勝手に揺れる、あの感じ。
私はその画面を見たまま、返信欄を開いて、指を止めました。
「大丈夫だよ」って打つのは簡単だった。というか、私はそういう返事をするのが得意だった。相手の罪悪感を早く終わらせるための返事。場を丸くするための返事。自分の本音を置き去りにしてでも、関係を壊さないための返事。
それを打てば、いちおう今日がスムーズに進むことも分かっていた。
なのに、なぜか今日は、打てなかった。
画面の白い入力欄が、やけに広く見えて、そこに「大丈夫だよ」を入れた瞬間、私の中の何かが薄くなる気がした。たぶん、こういう瞬間の積み重ねで、肌も荒れるんだろうなって、すごく嫌な納得がよぎったんです。
誰にも言ってない本音を言うと、私はそのメッセージを見た瞬間、「謝罪で終わらせたくない」って思ってしまった。意地悪いよね。分かってる。だけど、“許すふりをする癖”をもう一度やるのが、今日はどうしても嫌だった。
返信欄に、いったんこう打ちました。
「うん」
たった一文字。
それだけで冷たい人みたいに見えるのも分かってたし、相手が不安になるのも想像できた。でも、私は今日の自分の体調と、顔のコンディションと、胸の重さが同じところから来てる気がして、ここでまた“正解の返事”をしたら、私はまた自分を雑に扱うことになると思った。
私が今日選んだのは、正しさじゃなくて、摩擦を残す返事でした。
返事のテンプレを捨てたら、静かに罪悪感が湧いた
「大丈夫だよ」って言わないだけで、こんなに罪悪感が湧くんだ、ってことにまず驚きました。私は別に怒鳴ったわけでも、責めたわけでもない。ただ、いつもの“優しい定型文”を出さなかっただけ。
それなのに、頭の中ではもう、相手が落ち込む姿とか、関係が微妙になる未来とか、勝手に再生されていく。
この罪悪感の正体って、たぶん「私は良い人でいたい」よりも、「私は面倒な人と思われたくない」に近い。
面倒な人だと思われたら、距離を置かれるかもしれない。距離を置かれたら、孤独になるかもしれない。孤独になったら、私は自分の生活を保てないかもしれない。
そうやって、たった一通のメッセージが、私の“人間関係の防災アラート”を鳴らしてくる。
でも、その防災アラートが鳴るたびに、私は自分の感情を急いで片づけてきた。片づけ方はいつも同じで、相手が安心する返事をして、会話の問題を早期に終わらせる。
それで“平和”は保てる。でも、終わったはずなのに、体だけがずっとザラザラしていく。肌も、心も、どこかが乾いていく。
私の肌荒れは、たぶん、そういう日々の積み重ねでもある。
「寝る」「温める」「触らない」「落ち込まない」って、肌に対してよく言うけど、今日気づいたのは、それって人間関係にも必要だったってことでした。
無理に動かさない。急いで触らない。冷えた状態で判断しない。落ち込みで自分を殴らない。
なのに私は、人間関係になると急にせっかちになる。すぐに治そうとする。すぐに“正解”を出そうとする。スキンケアよりずっと乱暴。
そして、その乱暴さが、私の生活の内側にじわっと広がって、顔に出るんだと思う。たぶん、そういうこと。
「優しい返事」をしない自分を、嫌いになりかけた
そのあと、私は洗面台に行って、手を洗いながら鏡を見ました。
肌は相変わらず落ち着いていなくて、頬のあたりに小さな赤みが残っていた。私はそれを見ながら、反射的に触りそうになって、ギリギリでやめました。
触りたい衝動って、たぶん「確認したい」なんですよね。悪化してないか、治ってないか、何か変わったか。
でも触れば触るほど、結局は荒れるって分かっている。
それと同じで、さっきのメッセージも、私は“確認”したくなってしまう。
相手は今どんな気持ちなのか。私の返事にどう反応するのか。関係は大丈夫なのか。
確認したくて、余計に言葉を足したくなる。でも言葉を足したら足したで、結局は自分の本音が削れる。
私は台所の椅子に座って、スマホを伏せました。
その瞬間、ひとつ本音が浮かびました。誰にも言わなかった本音。
「私、ちょっと疲れてる。だから“いい人の役”を今日は休みたい」
こういう本音って、言葉にするだけで、少しだけ呼吸が深くなる。なのに、言い慣れてないから、言った瞬間に自分で自分を疑いたくなる。
“そんなの甘えじゃない?”って、どこかで聞いたことのある声が頭の奥から出てくる。
でも、今日の私は、その声に即レスしなかった。
それが今日の「小さな変化」だったと思う。
いつもなら、疑う声が出た瞬間に、「うんうん、私は甘いよね」って自分を叱って終わらせるのに、今日は一回、間を置けた。
間を置けたというだけで、私は少しだけ、自分を雑に扱わずに済んだ気がしました。
そしてそのとき、読者が「わかる…」って思うかもしれない一文を、私は今ここに置いておきたい。
“本当はしんどいのに、平気な返事だけ上手くなっていくの、地味に心が削れる。”
これって、たぶん、私だけじゃない。
「すぐ仲直り」より、「すぐ自分を裏切らない」を優先してみた
昼過ぎ、外に出る用事があって、駅まで歩きました。空気は冷たいのに、日差しだけがやけに明るくて、歩いてるうちに頬が少しだけ温まる。
その温まり方が、なんとなく心地よかった。温まるって、派手な変化じゃないけど、確実に人を戻してくれる。
私は途中でコンビニに寄って、温かい飲み物を買いました。たぶんそれは、肌のためというより、今日の自分のためだった。
“自分のため”って言葉、いつもならもっとキラキラした場面で使いたくなるけど、実際はこういう地味なときにこそ必要なんだと思う。
誰かと揉めたあととか、気持ちがざわついてるときとか、予定通りに進まない日とか。
そんな日に「自分のため」の選択肢があるかどうかで、生活って変わる。
私は駅のホームで、スマホをもう一度見ました。相手からの返信はまだ来ていなかった。
その沈黙が怖くて、心が少しだけ縮む。でも今日は、それをすぐに埋めようとしなかった。
“触らない”をやった。
“落ち込まない”まではまだできない。でも、落ち込みの入口で踏ん張ることはできた。
ここで私が気づいた違和感は、たぶんこういうことです。
私はこれまで、「関係を壊さないために」自分の感情を小さく折りたたんできたけれど、その折りたたみ癖が、肌にも出ていた。
肌荒れって、外からの刺激だけじゃなくて、内側で起きてる“無理”が表に滲むものなんだと思う。
だから、今日みたいに、ほんの少しでも「すぐ解決」より「すぐ自分を裏切らない」を選ぶと、肌の話をしているはずなのに、なぜか心の方が整っていく。
もちろん、これで何かが一気に良くなるわけじゃない。
たぶん明日も、私はまた「大丈夫だよ」と打ちたくなるし、いい人の役を反射でやりたくなる。
でも今日の私は、「それをしない自分」を嫌いになりきらずに済んだ。
そこが今日の“ささやかな変化”で、私はそれをちゃんと覚えておきたい。
肌が安定するとメンタルも落ち着くって、たしかにそうなんだけど、逆もある。
メンタルが少しだけ落ち着くと、肌に対して乱暴にならなくなる。
だからスキンケアって、化粧品の話というより、「自分を雑に扱わない宣言」なんだと思う。
最後に、問いかけみたいな余韻を残して終わりたい。
もし今日、あなたのスマホにも「ごめんね」とか「大丈夫?」みたいなメッセージが届いていたら、あなたは“正解の返事”を急いで返すタイプですか、それとも、少しだけ間を置けるタイプですか。
その一瞬の選び方が、明日の顔に、そして明日の心に、静かに出てしまうことって、ありませんか。




